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グレッグ・レモンの入試問題。

 夕べも今朝も頭痛なし。

 本日昼過ぎ、「押さえ」のK高校の受験から帰ってくるなり長女が

 「パパーッ! 英語の長文がね」

 なんだどうした、難しくてできなかったのか?

 「ツール・ド・フランスの問題だったよ!」



 持ち帰ってきた問題用紙(←これを認める高校もめずらしい?)を見てみると、いきなり問1に「アメリカの自転車選手グレッグ・レモンに関する英文を読み、問いに答えなさい」 な、な、なんじゃいコレは!

 以下がこの長文のあらすじ

●レモンは1961年、カリフォルニア生まれ。少年の頃はスキー選手。自転車はオフシーズンのトレーニングのために始めたものだが頭角を現し、18歳でアメリカ人として初めて、ジュニアの世界選手権で優勝

●85年のツール・ド・フランスにラ・ヴィ・クレールのメンバーとして出場、ツール5勝目がかかるチームリーダー、ベルナール・イノーのサポート・ライダー。このとき、力量はすでにレモンの方が上、と誰もが認めていたが、翌年のツールで優勝させるからとイノーが約束したためにアシストに徹し、見事イノー優勝

●86年のツール、約束通りイノーが助けてくれると思いきや、レモンのパンクに乗じて先行、総合タイムは一時5分まで開く。しかしレモンはあきらめずにイノーを逆転、アメリカ人初のマイヨ・ジョーヌに輝く

●87年4月、狩猟中に同行者の散弾がレモンに命中、病院に運ばれた。誰もがこれでレモンは終わったと思ったが、彼はここでもあきらめなかった

●89年のツールに戻ってきたレモンは、身体に散弾が残っている状態であったにもかかわらず活躍、ツール史上最小の総合タイム8秒差で優勝。同年8月末の世界選手権でも優勝し、同一年でマイヨ・ジョーヌとアルカンシェルを手中にした5人目の選手となる

●90年のツールで3度目の優勝を飾った4年後に引退。98年のインタビューで「狩猟事故がなければ、イノーのようにツールで5勝できたと思うか?」との問いに答えて曰く「過去を変えることはもちろんできないけれど、答えはイエスだ。僕は絶対にあきらめないからね!」。



 イノーとの確執、事故からの復活、ロードレースファンなら当然押さえておきたいレモンの逸話の数々だが、これを? フツーの中学3年生が、しかも受験でテンパッている状態で。この競技に馴染みがある生徒なんてほとんどいないだろうから、たとえ英語がぜんぶわかったとしたって難しいだろうよ! 一応、注記はあるにはあるんだが、こんな調子

 Bernard Hinault:ベルナール・イノー。フランスの自転車ロードレースチャンピオン

 Tour de France:ツール・ド・フランス。毎年7月に21日間にわたって行われる世界最大の自転車レース。1チーム9人編成で、1人のleaderと、そのleaderを勝たせるための8人のsupport riderがいる

 Maillot Jaune:マイヨ・ジョーヌ。ツール・ド・フランスの優勝者だけが着用を許される黄色いジャージ

 ツールの説明、たったこれだけ! これではこの長文の肝でもあるエースとアシストの関係も、なんだかわからないだろう。一方、娘はこの問題を見るなり「やった、もらった! わたしのための問題」と思ったと。これを入試に出す高校も高校だが、しかしこんなことがあるんだなぁ。

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