片倉シルク。
夕べも今朝も頭痛なし。
昨日富岡製糸場でガイドの説明を聞いていたところ、官営で始まった同工場はその後三井に払い下げられ、→原→片倉と所有が変わり、その片倉が昭和62年まで操業を続けたと… 片倉? 製糸場… 片倉シルクか!!
戦後、片倉工業が福生に作った片倉自転車、そのブランド名が「Silk」。東京オリンピックのために輸入されたチネリ・スーパーコルサのサイズが大き過ぎたんだか、高価すぎて数が足りなかったんだかで片倉シルクに声がかかったと。実際の競技に使われたのが結局チネリだったのかシルク号だったのかは、諸説ある模様。いずれにしても、中学生の自分には憧れのメーカーだったのだが、それが今頃になってシナプスのごとくつながるだなんて。
なお、10年ほど前に、クロモリフレームのビアンキを再塗装してもらった比企郡のビルダーは、元片倉シルクの職人だった。←その工房の名前はなんと「絹自転車製作所」(Silk Bicycle Factory)。
昨日富岡製糸場でガイドの説明を聞いていたところ、官営で始まった同工場はその後三井に払い下げられ、→原→片倉と所有が変わり、その片倉が昭和62年まで操業を続けたと… 片倉? 製糸場… 片倉シルクか!!
戦後、片倉工業が福生に作った片倉自転車、そのブランド名が「Silk」。東京オリンピックのために輸入されたチネリ・スーパーコルサのサイズが大き過ぎたんだか、高価すぎて数が足りなかったんだかで片倉シルクに声がかかったと。実際の競技に使われたのが結局チネリだったのかシルク号だったのかは、諸説ある模様。いずれにしても、中学生の自分には憧れのメーカーだったのだが、それが今頃になってシナプスのごとくつながるだなんて。
なお、10年ほど前に、クロモリフレームのビアンキを再塗装してもらった比企郡のビルダーは、元片倉シルクの職人だった。←その工房の名前はなんと「絹自転車製作所」(Silk Bicycle Factory)。